kotokoの保育日記

保育園での日常の楽しい子どものつぶやきや出来事を書いています。

「○○kotokoさ~ん!」

新人の頃、勤務先までバス通勤していました。

 

帰りの時間にもよるのですが、少し障害を持っている男性が私を

気に入ったようで、よく、隣に座るようになりました。

 

私は、そういう方々に対して、怖いとかどうしたらよいかわからない

という感覚がほとんどなかったので、気軽にお話をするようになりました。

 

彼は、たぶん、知能に少し問題を抱えていたんだと思うのですが、

「僕の名前は○○です。あなたのお名前は何ですか?」

 

私が本名を名乗ると「kotokoさんですね。」と、何回も確認していました。

 

それからは、バスで会うたびに「○○kotokoさ~ん!」と、呼んでくれるように

なりました。

 

偶然、駅で会ったときも同様に「○○kotokoさ~ん!」

 

母がその時一緒だったのですが、「kotokoの知り合い?」と聞くので、

「バスでよく一緒になるの。」と答えると、「kotokoは、子どもとおじさんと

障害のある人にはもてるのにね~。」

 

そうなんです。障害のある方にももてるんです。私。

 

私はクリスチャンなので、そういう方々は天使だと思っています。

 

神様のもとでは誰よりも尊い素晴らしい方なんだと思うのです。

 

子どももそうです。

 

ある時、多くの障害を持ったお子さんのクラス担任になりました。

 

そのお子さんは、声は発することはできても話せません。

 

でも、聞いていることは理解していました。

 

そこで、手話のようなジェスチャーで、「おしまい」とか「お母さん」

とか「食べたい」などのやり取りをするように訓練しました。

 

自分の思いが伝わったと感じたときのそのお子さんの笑顔は輝いていました。

 

お母さんも一緒に取り組んでくださり、家でも自分の気持ちをジェスチャー

表すようになったそうです。

 

それまで、お母さんは(この子は何もできない)と思っていたそうですが、

そのやり取りを通して、自分の間違いに気付いたそうです。

 

そのお子さんが卒園したあと、私も転勤したり、退職したりで、それ以来

会うことはないのですが、きっと、今でも、お母さんやご家族と幸せに暮らして

いると思います。

 

私は、障害を持って生まれてきた方々を尊敬します。

 

その人の人生は、大変だからです。

 

でも、明るい笑顔を見せてくれたり、私にいろいろなことを気づかせてくれる

先生なんです。

 

少しでも、障害のある方々に理解の目が向けられるようにいつ願っています。