kotoko先生は冷たい。
若いころ、失敗というか先輩との意思の違いを痛感したことがあります。
一人の男の子が園庭で走っていて転びました。
私は「○○君、痛いところない?立てる?」と声をかけました。
その子は「大丈夫!」と言って、また、走り去っていったのですが、
その様子を見ていた先輩が「kotoko先生は、冷たい。」と言いました。
「本来なら、すぐにその子のそばに行って、傷の様子を見ることが
大事でしょ。あなたはそれをしなかった。」
私はそうなのか・・・と思いつつもその子の様子から、大丈夫だと判断し、
声掛けだけで終わらせました。
園長先生が、どちらの言い分もわかると言いましたが、私はそこまで過保護に
しないといけないのかとちょっと、反発心を持ってしまいました。
でも、今なら、先輩の言っていたこともわかります。
保護者に説明するとき、保育士がそばにいたのか、どう、対応したのか
気にするご家庭が増えているからです。
若くてそういうところのケアまで思いが及びませんでした。
「冷たい」という言葉は、ちょっと違うんじゃないかと今でもときどき
思いますが、でも、いろいろな保育士がいて、感じ方も受け止め方も人それぞれ。
また、自分の子を育てながら保育士の仕事をすることで、新米とは違う見方が
あるんだな・・・と思います。
だから、その先輩の言葉はちょっと、きつかったけれど、私にとっては大事な
保育の視点になりました。
今は、親の視点というかおばあちゃんのような気持で子どもたちのすべてが
かわいく見えてしまうので、逆に「kotoko先生、甘すぎ~。」
でも子どもたちが何かを見つけて教えてくれたときとか、耳元でこっそり教えて
くれる話とか、本当にかわいいんです。
この前は、近所で偶然、園児と保護者に会ったとき「kotoko先生が、病気だから
いっぱい溜まっているんだよ。」と4歳児の子が言いました。
「何が溜まっているの?」と聞くと「お手紙とか、絵だよ。」
「じゃあ、kotoko先生がまた、保育園に行ったときまで持っててくれる?
楽しみだな~!」と言うと「いいよ。でも、早く来てね。お道具箱が
一杯になっちゃうから。」
泣きそうになりました。
違うクラスのお子さんですが、待っていてくれる子がいるので、早く元気に
なって、また、楽しく過ごしたいです。